
夢枕獏の陰陽師シリーズに晴明の「相棒」よろしく登場いたしますのが、源博雅みなもとのひろまさ。なんと、その博雅のCDがあるんですよ、というお話。
「夢枕獏のこのシリーズちょっと設定が甘いのではないの?」とか「有り得ないよね」とかぶつぶつつぶやきながらも結構楽しみに読んでいる私でありました。なに?陰陽師ネタなら京極堂シリーズの方がダントツ面白いではないか?〜そうですよね、小松和彦も良いですよ・・などと話しがよそ道にそれてしまいますが。
以前よりの古典好きのうえに、陰陽師に懲りだして、文献を読みすすめて行くうちに、随分と古典を読む楽しみが広がって・・といいましょうか、いよいよ深みにはまり込んでおります。
その源博雅。
このブログを読んでくださっている貴方様であればご存知ではないだろうか?と思いつつ、この文章を書いております。(夢枕獏の作品上の人物とはやや違うかもしれませんが、史実上実在の人です)
博雅の笛を聴いた泥棒が改心して盗んだものを返しにきたとか云々かんぬん・・・
様々な逸話がこちらもございます。これも、いずれご紹介して行こうと思っております。
その博雅の笛 雅楽のCDを購入してしまったのでご紹介。
解説に曰く・・・
安倍晴明関連記事はもくじ参照
さて、今までは「売られた喧嘩は必ず応戦、最低倍返し」と云った姿勢の晴明像を中心にご紹介してきましたが、宇治拾遺物語にはもうひとつ、「晴明、やさしいところもあるんじゃないの?」というエピソードがあります。
しかし、皆様の中には「クールで冷酷な晴明が好きだ」と仰る方も多いでしょうが、まあ、ひとつ ・・現代語訳と原文は、日本古典文学全集 宇治拾遺物語 より(底本は宮内庁書陵部蔵無刊記古活字本(全八冊))
昔、安倍晴明が左近衛府の舎人(とねり)の詰所に向かっていた時に、華やかに先払いをさせて、殿上人が参内して来たのを見ると、蔵人少将といって、まだ若く華やかで、器量もまことにうるわしい人が、車から降りて、内裏に向かっているところだった。

画像はフリー素材集より、後述
「ああ、世の受けもよく、年もほど若くて、容顔美しい人であるようだが、
式神に調伏されかけたのではあるまいか。この烏はまさしく式神に違いない」と思った。
前世の因縁があってこの少将は生きられるという果報があったのか、晴明は同情を覚えて
少将の側へ歩み寄って、「主上の御前に参上なさるのですか。差し出がましく申し上げるようですが、
参内なされるどころではありません。あなたは今夜一晩を無事にお過ごしになれはしまいとお見受けいたしますぞ。さるべき宿縁があって、
私にはそのことが見通されるのです。さあ、おいでください。できるだけのことはしてみましょう」と言って、
〜この少将の車に乗り込むと、少将は震えながら恐ろしいことです。それならどうか助けてください」と言い、同じ車に乗って少将の家へ向かった。
そうして日も暮れたころ・・・
御堂関白(みどうかんぱく)は藤原道長(966〜1027)。
「この世をばわが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」の歌を詠んだことで有名。
(こんな歌を詠んでいたらきっと恨まれているに決まってる・・呪詛かけられても仕方ないかな?〜ぼそっと筆者ひとりごと)
摂政に準じられ、関白にはならなかったが、このように称されたとのこと。
今回のお話は芦屋道満がこの道長に呪詛をかけ、晴明に見破られ、その罪により播磨国へ追放されるくだりです。原文の微妙な表現が興味深いので原文ほぼ書き出し多ます。(本文末尾に呪詛法の注釈あり、右記から)
〜〜では、現代語訳、原文入り混じり、お話しをはじめましょう
宇治拾遺物語 一八四 (巻第十四 十)
今は昔、御堂関白殿、法成寺を建立し給ひて後は、日ごとに御堂へ参らせ給ひけるに、白き犬を愛してなん飼はせ給ひければ、いつも御身を離れず御供しけり。
今は昔、御堂関白殿は、法成寺を建立なされてからは、毎日御堂においでになられたが、白い犬を可愛がってお飼いなっていたので、それはいつも御身を離れずお供をしていた。ある日、いつものようにお供をしていたが、殿が門を入ろうとなさると、この犬が御前にふさがってほえ回って、中にお入れ申すまいとしたので「どうしたというのだ」と、車から降りて入りなさろうとすると、犬は御衣の裾をくわえて、引きとどめ申し上げようとした。そこで、「きっとわけがあるのだろう」と 、踏み台を召し寄せてお尻をかけて、晴明のもとに、「急いで来い」と使者を遣わすと、晴明はすぐにやって来た。
「かかることのあるはいかが」と尋ね給ひければ、晴明しばし占ひてもうしけるは、「これは君を呪詛し奉りて候ふ物を道に埋みて候ふ。
御越しあらましかば、悪しく候べき。犬は通力のものにて告げもうして候ふなり」と申せば、「さてそれはいづくにか埋みたる。あらはせ」とのたまへば、「やすく候ふ」と申して、しばし占ひて、「ここにて候ふ」と申すところを掘らせてみ給ふに、土五尺ばかり堀りたりければ、案のごとく物ありけり。
「こういうことがあるがどうじゃ」とお尋ねになると、晴明は「これは君を呪い申し上げる物を道に埋めてあるのです。もし、それを起こえになられましたら、不吉なことになりましょう。犬は通力のあるものですので、告げてくれたのです」と言った。「ではそれはどこに埋めてあるのか。見つけ出せ」とおっしゃると、晴明は、「たやすいことです」と申し上げて、しばらく占って、「ここです」と申す所を掘らせてご覧になると、土を五尺ほど堀ったところで、はたして物がみつかった。
キーワード:識神(しきじん)or式神(しきがみ) 泣不動縁起絵巻(なきふどうえんぎえまき
安倍晴明 関連記事はもくじ参照
安部晴明忠行習道話第十六、第五段後半(今昔物語集 二十四 本朝付き俗世 底本・実践女子大学蔵二十六冊本) と 晴明、蛙を殺す事 宇治拾遺物語 巻一一ノ三続 一二七 後半 (底本・陽明文庫)に出てくる識神と式神を取り出してお話しをはじめましょう。
今昔物語集から・・・安部晴明忠行習道話第十六、第五段後半
此晴明ハ、家ノ内ニ人無キ時ハ識神ヲ任ケルニヤ有ケム、人無キニ、蔀上ゲ下ス事ナム有ケル。亦、門モ差ス人モ無カリケルニ、被差ナムドナム有ケル。此様ニ稀有ノ事共多カリ、トナム語リ伝フル。
この晴明(せいめい)は、家の中に人のいない時は式神を使っていたのであろうか、だれもいないのにひとりで蔀戸の上げ降ろしをした。また、閉ざす人もいないのに、門が閉ざされていたりしたかように不思議なことが多くあったりと語り伝えられている。
その孫子は今も朝廷に仕えて重んじられている。その土御門の屋敷も代々伝領されている。そこではごく最近まで式神を使う声などが聞こえていた。
されば、この晴明はなんといっても並み一通りの者ではなかった、とこう語り伝えられているということだ。〜以上引用終。
今昔物語集では、古典原文漢字はどれも「識神」を用いてあります、読み仮名は「しきじん」と読んでいるものと「しきがみ」と読ませているものがありますが、仮名はいずれも解説者がほどこしたもの。
宇治拾遺物語では漢字は式神ですが、やはりこの部分の原文に読み仮名は無いとのことです。(解説者注ではしきがみと読ませているもが多い)。
宇治拾遺物語の同じ箇所は若干短いです。晴明、蛙を殺す事 宇治拾遺物語 巻一 一ノ三付より
家の中に人なき折(おり)は、この式神をつかひけるにや、人もなきに、蔀(しとみ)をあげおろし、門をさしなどしけり。
さて、式神(もしくは識神)については諸説ありますが、古典文献にそったものを主に記載します。
絵巻物に現れる式神は”二匹の子鬼”のように描かれることが多いようです。
有名なのは不動利益縁起絵巻(ふどうりやくえんぎえまき)東京国立博物館、はこの説話を描く最古の絵巻で、鎌倉時代末期から南北朝時代の十四世紀のものとされる。詞四段、絵三段からなる。〜こちらは画像を引っ張ってくることはできませんが、ほとんどものが
泣不動縁起絵巻(なきふどうえんぎえまき)清浄華院蔵、同院ホームページにあります。
↑出てきた画面の少し下方にあります。
こちらは室町時代後半の十六世紀の作品で、詞書(ことばがき)は無く、絵のみ。祭壇などの描写は国立博物館のものに比べやや簡略化されたところありとのことですが、晴明が庭で祭文を読み上げて祈祷を行う構図はほぼ同じです。
二人の式神が晴明の画面左後ろにひかえ、祭壇には御幣(Wiki:御幣(ごへい)とは、神道の祭祀で用いられる幣帛の一種で、2本の紙垂を竹または木の幣串に挟んだものである。)
や供え物、紙札(ふだ)など、陰陽道の祭りを知ることのできる貴重な作品。
祭壇の右後ろには供え物をもらいに来た付喪神(つくもがみ)がいる。(以上解説は河出書房新社、「安倍晴明と陰陽道」より)
後述、今昔物語集や宇治拾遺物語の解説には、式神は「護法童子」仏教の影響とありますが、御幣はやはり神道のものでしょうね。
(付喪神は「人間が使っていたモノ<琵琶など>が100年経過すると、そこに神がつく」と御伽草子などにあります、また、百鬼夜行絵巻にも鬼に混じって登場します。筆者注)
少し横道にそれるかも知れませんが、このシーンを泰山府君祭(たいざんふくんさい)としている本もありました(歴史群像シリーズ「安倍晴明」。泰山府君は人の生死を司る冥府の神で、これを陰陽道の神にしたのは安倍晴明とも、しかし、根拠は不明)。
さて、式神についての解説です
日本古典文学全集の宇治拾遺物語補注より
『陰陽道の式神については、俚言集覧に、歌林拾葉集の式神に関する文をのせ「神社考巻五を引いて云ふ」として、「安倍晴明研二天文一。役二使十二神将一。妻畏二識神ノ形一。因呪位置二十二神子一条橋下一。有レ事時呼而使レ之」と記し、新猿楽記にも陰陽師が式神を使う事を述べ、「進二退シ十二神将ヲ一。前二後ス三十六禽ヲ一。仕ヒ二式神ヲ一。造ル二入ス男女之魂ヲ一」と記している。本書に現れる陰陽師は、二人の式神を使うのが普通のようで、前述十二神と併せ考えれば、仏教における矜伽羅(コンガラ)、制多伽(セイタカ)の二童子であろうと思う。謡曲などにも矜伽羅、制多伽、十二天」(是界)とあって使役の際に呼び出すものとしている。』〜引用終(漢文レ点上手く描出できませんでした。図書館で確認してください。 )
※ 十二天将、十二神将の違いなどは陰陽道の本を参照してください。ここでは区の図書館で手に入る一般的書籍を中心に話をすすめています。
安部晴明忠行習道話第十六 第三・四段(宇治拾遺物語では晴明を試みる僧の事にほぼ同じ)に出てくる播磨の法師は晴明に陰陽道を習いたい、と言って二人の十歳あまりの童子を伴ってくる。晴明はこれを式神だろうと推測し、「袖の中で印を結び密かに呪を読み」隠してしまう、という部分があります。
日本古典文学全集、今昔物語集の注では
『式神・識神をも当てる。陰陽師に使役されて意のままに行動する下級の精霊。その識能において、仏教で持経者などに奉仕する護法童子などにやや類似する。中・近世の呪術的特殊民の信仰対象となった夙(宿)神・守口しゅく神などもこれと縁のある語らしい。「二」は「トシテ」の意。宇治拾遺「式神をつかひてきたるなめりかし」。なお、二人という数も何か基づくところがあるらしく、性空上人に給仕した護法童子も乙(丸)・若(丸)の二人であったことなどが想起される(谷亜闍梨伝・真言伝六、亜闍梨皇慶伝・明匠略伝・日本下、性空上人・元享釈書一一)。』
安倍晴明に関するものでは、宇治拾遺物語に晴明が「懐から紙を取り出して、鳥の形に引き結んで、呪文を唱えかけて空へ投げると、たちまち白鷺になって飛んでいった」というお話があります。
これも式神の一種ととるかどうか・・・次回はこのお話はこれ
御堂関白の御犬、晴明等、奇特の事 一八四 にいたしましょう。
参考文献
今昔物語集 日本古典文学全集 小学館 (実践女子大学蔵二十六冊本・底本)
今昔物語集 日本古典文学大系 岩波書店 (内閣文庫本)
今昔物語集 新日本古典文学大系 岩波書店 (カリフォルニア大学バークレー校東アジア図書館本)
宇治拾遺物語 日本古典文学全集 小学館 (宮内庁書陵部蔵無刊記古活字本)
宇治拾遺物語 日本古典文学大系 岩波書店 (寛永年間印行と目される無刊記古活字本)
宇治拾遺物語 新日本古典文学大系 岩波書店 (陽明文庫)
安部晴明と陰陽道 河出書房新社
〜不動利益縁起絵巻(ふどうりやくえんぎえまき)、泣不動縁起絵巻(なきふどうえんぎえまき )
晴明蛙を殺す事:今昔物語集と宇治拾遺物語 記載内容の違いについて
安倍晴明関連記事はもくじ参照
今回は晴明が公達に請われて陰陽術でカエルを殺めてしまうと云うちょっと物騒なお話しです。今昔物語集 巻第二十四 本朝付世俗 安倍晴明隋忠行習道語第十六 (実践女子大学蔵二十六冊本 底本)より 第五段前半。
このお話しは宇治拾遺物語一二七 晴明、蛙を殺す事 とほぼ同じものなので、まず舞台設定説明を
物語の場所は「広沢の寛朝僧正(かんちょうそうじょう)」の住まい。
「真言密教の祈祷の大家として知られていた寛朝僧正のそのもとで修行する若い僧たちにとって、陰陽道の異能者の術力を目のあたりに見たいという願望は激しいものがあったに違いない」 宇治拾遺物語解説
・・と言っても、宇治拾遺物語では僧が「蛙を殺してくれ」と云うんですよ。
するとですね晴明も「挑戦に応ずるという形で、自分の術力を本気で行使して相手を威圧する。」のです。・・良いのでしょうかね、こんなお話し・・では兎に角本文より書き出しはじめましょう
安倍晴明隋忠行習道語第十六 第五段
あべのせいめいただゆきにしたがひてみちをならふことだいじふろく
また、ある日のこと、この晴明が広沢(ひろさわ)の寛朝僧正(かんちょうそうじょう)と申すお方のお住まいにまいり、お話しを伺っている時、そばに若公達や僧たちがいて、晴明にいろいろと話しかけ「あなたは式神を使いなさるとのことですね。人をたちどころに殺すことがおできなさいますか」と言う
注:式神については次回詳しく書きますが、この話に出てくる「式神」「識神」について
今昔物語原文本文は「識神」これは新日本古典文学大系(底本カリフォルニア大学バークレー校東アジア図書館本)も同じでした。しかし、宇治拾遺物語の方では本文に「式神」を使っています
池ノ辺様ニ行ケルヲ、君達、「然ハ彼レ一ツ殺シ給ヘ。試ム。」ト云ケレバ、晴明、「罪造り給君カナ、然ルニテモ、『試ミ給ハム』ト有レバ」トテ、草ノ葉ヲ摘切テ、物ヲ読様ニシテ蝦蟆ノ方ヘ投遣タリケレバ、其ノ草ノ葉蝦蟆ノ上ニ懸ルト見ケル程ニ、蝦蟆ハ真平ニ□テ死タリケル。僧共此ヲ見テ、色ヲ失テナム恐ヂ怖レケル。
晴明は「また、この道の秘事にわたることをぶしつけにお尋ねなされますな」と言って、「いや、そう簡単には殺せません。だが、少し力を入れさえすれば必ず殺せます。虫などはほんのちょっとしたことで必ず殺せますが、生き返らせる方法を知りませんので罪になりますから、これは無益な殺生です」などと言っている時、庭先を蛙が五、六匹池の方に飛びはねて行く。
これを見た公達(宇治拾遺物語では僧たち)が、
「ではあれを一匹殺してみせてください。ひとつ拝見しましょう」と言う。
晴明は、「罪なことをなさる方ですな。ですが、私をおためしなさるとおっしゃるからには」(宇治拾遺物語ではこの後に殺してお見せしましょう、と入ります)と言いつつ、草の葉を摘み取り、呪文を唱える様子をして蛙の方へ投げやると、それが蛙の上に乗ると見るや、蛙はぺしゃんこに[ひしげ]て死んでしまった。(口は「ひしげ」漢字表記を期した意識的欠字。宇治拾遺物語「まひらにひしげて」。)
僧たちはこれを見て真っ青になって震えおののいた。〜以上引用終(括弧内筆者注)
※マツラへは他本では候ラヘバ
ご覧のように宇治拾遺集と今昔物語集は若干の記載の違いがあります。ざっとまとめると・・
「また、この道の秘事にわたることをぶしつけにお尋ねなされますな」という晴明の言葉は宇治拾遺物語にはありません。
宇治拾遺物語には「罪を作り給ふ御坊かな。されども試み給えば、殺して見せ奉らん」とあります。
解説によっては今昔物語集のほうが「殺す」「僧」に関して配慮が伺えるともあります。
(いずれにしても安倍晴明はかなり挑戦的な性格に描写されていますね。)
人ならば「少し力をいれれば必ず(殺せる)」虫ならば塵のようなものだから簡単に(殺せますよ)と涼しげな顔で言ってのける晴明は当時の人たちからかなり怖れられていたのでしょう。
宇治拾遺物語は「宇治大納言物語」を踏まえて成立したものと言われています。
今昔物語集は宇治拾遺(物語)集や日本霊異記など多くの物語から集めてあります。
読み比べてゆくと微妙なニュアンスの差もあり、より面白いです。
ところで、安倍晴明は「あべのせいめい」と読むことが多いのですが、
日本古典文学大系27 岩波書店 昭和42年 第8刷 宇治拾遺物語
では
一二六 晴明を試僧事 はるあきらをこころみるそうのこと
と読んでいますが、「底本には振仮名が無い、通読の便宜のために、適宜振仮名をつけた。中世に行われていた読み方に従うとこを原則とし、歴史的仮名遺によったが、未詳のものや、幾通りもの読み方があって決めかねるもの、今日の読み方といちじるしく異なって奇異の感をあたえるものなど、各種の場合があるので、便宜に従ったというほかはない。」と明記してあります。しかし法則性などの記載はありません。
せいめい なのか はるあきら なのか
「ハルアキ」と読む説もありますが・・・中公新書 陰陽道 繁田信一著 では 『平安時代の男性名としてより自然な「アベノハルアキ」であったろう。』としていますが、根拠となる文献までは書いてありませんでした。
簠簋抄にも同じエピソードがありますが、「安倍晴明物語」によりますと、帝が童子の「昇殿をお許しになり、五位に任じて、陰陽頭になさった。その日は三月の節であったのでこの日を名にお与えになり、安倍晴明あべせいめいとお呼びになった。」とあります。
(簠簋抄自体は江戸期の編成であるのですが)
二十四節気の「晴明節〜せいめいせつ」から取ったとすれば、やはりせいめいで良いのかとも思えます、論議は尽きない話題のようですね。
みなさんは如何お考えでしょうか?
・・・・簠簋抄記事拙ホームページ
・・・・二十四節気国立国会図書館
参考文献
今昔物語集 日本古典文学全集 小学館 (実践女子大学蔵二十六冊本・底本)
今昔物語集 日本古典文学大系 岩波書店 (内閣文庫本)
今昔物語集 新日本古典文学大系 岩波書店 (カリフォルニア大学バークレー校東アジア図書館本)
宇治拾遺物語 日本古典文学全集 小学館 (宮内庁書陵部蔵無刊記古活字本)
宇治拾遺物語 日本古典文学大系 岩波書店 (寛永年間印行と目される無刊記古活字本)
宇治拾遺物語 新日本古典文学大系 岩波書店 (陽明文庫)
中公新書 陰陽道 繁田信一著
安部晴明と陰陽道 河出書房新社〜仮名草子「安倍晴明物語」
クラシックCDは山ほどあるのに、まだ欲しいらしい。
なんて物欲に埋もれたヤツだ・・・と呆れかえりながら常々見ていた。
部屋に入って御覧なさい、誰だって唖然とするでしょう。
「ココまで病気じみたらちょっと可哀想」なんて思っていた、今日の先ほどまでは・・・・
これは、そんな友人を心から尊敬してしまったお話しです。

ある日突然モーツァルトのピアノが聞きたくなったのです。
でも、クラシックなんて何をどうとっかかったら良いのか解らない私は、なんとなく近くのCDショップでなんとなく手にしたアルバムを聞いていたのです。
でも、ふと、思い立ち、友人へ電話をしてみました。
私「あのね、モーツアルトのピアノが聞きたいのだけれど、何を買ったら良いのかな・・?」
友「・・・ピアノと云っても・・どんなものが聞きたいのかな?」
私「ええっとですね、ぽろぽろぽろと軽いカンジで流れるような・・」
友「・・・・」
私「ホロビッツとかを買えば良いのかな?」〜〜ちょっと知ったかぶりをしたかったのです。
友「・・・(笑)・・」〜〜〜〜受話器の向こうの押し殺した笑いが聞こえたぞっ!
・・・・しばしの沈黙・・・・
私「急に言われても困るよね、適当なのが思いあたったら、また、教えてね」
友「うん、じゃ・・」
といって貸して呉れたのがこのCD
正直なところ、あまりの音色の美しさに驚きました。
お好きな方々には有名なものらしいですが、一応ご説明など(素人がオコガマシイのですが)
使用楽器が普通のピアノとひと味違う音色なんです。
説明文によると・・・
「この録音で演奏されている楽器は、フィリップ・ベルト工房でトーマス・マッコブによって製作されたもので〜中略〜ヨハン・アンドレアス・シュタインのフォルテピアノの複製である。この楽器はロブ・ルーミスによって音色的、機構的に改良され、18世紀における音程をよい具合に調整する調律法である(今日用いられている平均律とは異なる)トマス・ヤング#2、A=430ヘルツに調律されている。モーツァルトはシュタインの楽器に親しんでおり、1777年には父親宛の書簡で彼の楽器を賞賛していた。」
う〜む、「今日用いられている平均律とは異なる」
ムズカシイ事は詳しく解らないが、音色が普通と違うことぐらいなら素人の私にも一聴してわかる!
夢見るように妙なるしらべであります。
寝不足の朝でも、笑顔で仕事に向かえる心のゆとりを生む音色
就寝前に本を読みながらさりげなく流れていても邪魔にならない(これは有りそうで無い)
日本の古典中心の拙ブログなのですが、友人に敬意を表して、私にとっては最強のモーツァルトアルバムのご紹介でした。
DVDもついています。「モーツァルトって何?」面白い解釈でした。楽器の説明も興味深い。
英語のみ字幕なしならyoutubeに落ちていました。ROBERT・LEVINで検索すると出ます。
追伸:私の本好きも、分野は違うとは云え、彼ほどのマニアックな境地にまで達することができるだろうか・・いやいや、到底無理だな(まあ、あそこまでの人間はそうそう居ない)、だって私はまだ常人の域を脱していないもの。などと自己憐憫に浸りながら(?)自室に少しずつ増えてゆく本を見つめるのでありました。
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今回も今昔物語集を読みすすめます。
安倍晴明は賀茂忠行(かものただゆき)に陰陽道を習います。
賀茂忠行の実子は保憲(やすのり)。
先回このブログに書いた晴明と保憲の呪術比べは(と云っても「欠話」でしたが)、忠行の弟子である晴明と実子保憲の術がどちらが優れていたか、というお話しだったのですね。う〜む、無念、タイムトラベルして平安時代に行けたら読めるのでしょうか?
さて、今回は、まだ年若い晴明が忠行に随行して「百鬼夜行」に出会う有名なシーンです。
少し原文書き出します。日本古典文学全集より(実践女子大学蔵二十六冊・底本)
安倍晴明隋忠行習道物語第十六 其の壱
〜あべのせいめいただゆきにしたがひてみちをならふことだいじふろく
幼ノ時、加茂忠行ト云ケル陰陽師ニ隋テ、昼夜ニ此道ヲ習ケルニ、聊モ心モト無キ事無カリケル。
今は昔、天文博士安倍晴明という陰陽師がおった。昔の大家にも恥じぬほどのすぐれた陰陽師であった。
幼い時から加茂忠行(かもただゆき)という陰陽師について昼夜を分かたずこの道を修行したので、 いささかも心もとない点はなかった。
晴明見ケルニ、艶ズ怖キ鬼共車ノ前ニ向テ来ケリ。
晴明此ヲ見テ驚テ、車ノ後ニ走リ寄テ、忠行ヲ起シテ告ケレバ、
其時ニゾ忠行驚テ覚テ、鬼ノ来ルヲ見テ、術法ヲ以テ忽ニ我ガ身
