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  無弦弓 200803

  無弦弓

                       吾生まれて世にはぐれたる迷ひ子の・・ゆるり、ふらり、と独り言 戯言 〜〜日本の古典文学と詩歌を読みすすめています

キーワード: 芥川龍之介 六の宮の姫君  過去記事はもくじ参照
  
落魄(らくはく)した身分のある美女と貴公子の出会いを主題とする点では類型的といえるが、幸福な結末を求める伝説的、昔物語的構成を脱皮して、悲劇のかもし出す異質の浪漫性を打ち出した点で、異色の佳作といえよう。
日本古典文学全集(小学館)の解説です。
『芥川龍之介の「六の宮の姫君」は本話に取材したもの(同上)』としても有名です。
古典文学の持つ淡々とした口調を原文から味わうために、今回淡々と進めます。
今までとは底本も替え、東京大学文学部国語研究室蔵 紅梅文庫旧蔵本(東大本甲)です。振り仮名もやや少なめの大系(岩波)から書き出します。

六宮姫君夫出家語第五 今昔物語集 巻第十九 本朝付仏法
          ろくのみやのひめぎみのをうとしゆけすることだいご

(いま)(むかし)、六ノ宮ト云フ所ニ(すみ)ケル(ふる)宮原(みやはら)ノ子ニ、

兵部(ひょうぶ)大輔(たいぶ)□ト云フ人有リケリ。

心□ニシテ(ふる)メカシケレバ、世ニ(さし)(いで)不為()デ、

父ノ宮ノ家ノ、()(だか)クシテ(おほき)ナルニ、

()バレ残タル(ひむがし)(たい)ニゾ住ケル。

年ハ五十余ニ成ヌルニ、娘一人有ケリ。



今は昔、六の宮という所に住んでいた、年老いて世間からも忘れられた宮方の子で、
兵部大輔(ひょうぶのみやだいぶ)□という人がおった。
高雅な心の持ち主で人柄も古風であったので、
進んで世間に出て人交わりをしようともせず、父ゆずりの、
木々のこんもり茂った広い邸内の、荒れ残っている東の対屋(たいのや)に住んでいた。
年は五十歳あまりになっていたが、娘が一人いた。

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2008.03.26 20:25 | 試作品 | トラックバック(-) | コメント(-) |
キーワード: 慶滋保胤(よししげのやすたね)=寂心 幸田露伴・連環記 過去記事もくじ
 
法師だけでは生活が成り立たぬ、妻子も養えないと、紙冠をかぶり『にわか陰陽師』になり、バイトで『お祓い』にはげむ法師陰陽師。寂心(保胤)に「仏のみ弟子になりながら、何故このような事をするのだ」と責められ困惑してしまいます。
その法師陰陽師の言い訳を聴いてみましょう。

道心(だうしむ)(なけ)レバ()(すて)タル聖人(しやうにん)ニモ(なり)(がた)シ。
和纔(さす)ガニ法師(ほふし)姿(すがた)ニテハ(はべ)レドモ、(ただ)(ぞく)(よう)(はべ)()ナレバ、

(のち)()(こと)(なに)ヲカ()()ハカム』ト、(かなし)(おぼ)ユル(とき)(はべ)レドモ、

()(なら)ヒトシテ()(つかまつ)(なり)」ト。

もともと道心があるわけではないので、名利を捨てて、ひたすら修行に専念する聖人にはなり切りません。

でも僧の姿をしてはいますが、まるっきり俗人と変わりない生活をしている身ですから、これでは後世極楽往生のための善根功徳を積むこともできないと悲しく思われる時もありますが、この世の習いでやむを得ずこんなことをしているのです」と言う。

う〜ん、こう開き直られると困ってしまいますね。
ここで、幸田露伴連環記より、露伴の感想を書き入れてみます。

多数の人の取るところの道が正しい当然の道であるとするならば、疑いも無く此の紙の冠を被った世渡り人の所為は正しいのである、情緒至当のことなのである。寂心は飾り気の無い此の打明話には、ハタと行詰らされて、優しい自分の性質から、将又(はたまた)智略を以て事に処することを卑しみ、覇気を消尽するのを以て可なりとしているような日頃の修行の心掛から、却ってタジタジとなって押返されたことだったろう。
ヤ、それは、と一句あとへ退った言葉を出さぬ訳にはゆかなかった。が、しかし信仰は信仰であった。さもあれば、と一休めて・・・

    〜さて、寂心はどう反論したかと申しますと

キーワード:  法師陰陽師 紙冠 祓殿の神   過去記事はもくじに一覧あり

 さて、エリート陰陽師家系賀茂家のお話しは続きます。
安倍晴明の師である、保胤の高名な陰陽師賀茂忠行(かものただゆき)。
忠行の長男は安倍晴明に勝るとも劣らぬ陰陽師、賀茂保憲(かものやすのり)。
次男保胤出家して僧侶になり寂心と名乗り、播磨国の川原をふらふらと歩いておりました・・・

(かくの)(ごと)クシテ(おこなひ)ケル(あひだ)ニ、川原(かはら)()(ところ)(いたり)ニケリ。

()レバ、川原(かはら)法師(ほふし)陰陽師(おむやうじ)(あり)テ、(かみ)(かうぶり)ヲシテ(はらへ)ヲス。

()レヲ()テ、(むま)ヨリ(いそ)(おり)テ、陰陽師(おむやうじ)(もと)(より)(いは)ク、

()レハ何態(なにわざ)(たま)御房(ごぼう)ゾ」ト。陰陽師(おむやうじ)(こた)ヘテ(いは)ク、

(はらへ)(はべ)(なり)

(いは)()リ。(ただ)()(かみ)(かうぶり)(なに)(れう)
陰陽師(おむやうじ)(いは)祓殿(はらへどの)(かみ)(たち)法師(ほふし)ヲバ忌給(いみたま)へバ、

(はらへ)()(しばら)()(かうぶり)ヲシテ(はべ)(なり)」ト。


このようにして寄進を募って歩いているうち、ある川原にやってきた。
みれば、川原に法師陰陽師がいて、紙の宝冠をかぶってお祓いをしている。
寂心(保胤)はこれを見て急いで馬から降り、陰陽師のそばに寄り、

「貴僧はいったい何をしておられるのです」 と言った。

そうすると陰陽師は「祓いをしているのです」と言う。
寂心は「いかにもそのようですな。だが、その紙の冠は何のためのものです」というと

祓殿の神たちは僧をお嫌いになるので
祓いをしている間はしばらく紙の冠をかぶっているのです
」と答えた。

つまり平安時代、僧侶は紙の冠をかぶることで「陰陽師のアルバイト」ができた訳です。
マジメで一途な寂心はそんないい加減なことが許せなかったのですね、大声で怒ってしまいます・・・
※□は古典文にみられる「意識的欠字」で此の場合寂心のこととしています
キーワード: 内記 内記聖人 幸田露伴「連環記」    過去記事一覧はもくじ

慶滋保胤の出家にまつわる物語は、芥川龍之介六の宮の姫君」や幸田露伴連環記」に出てきます。この今昔物語集の逸話は思っていたより有名で、解釈も様々でした。
それらの説明は後ほど・・・兎に角原文から始めます。底本は実践女子大学蔵二十六冊、現代語訳は全集から。

内記慶滋ノ保胤出家語第三 巻第十九  本朝仏法
        ないきよししげのやすたねしゅっけすることだいさむ

今昔(いまはむかし)天皇(てんのう)御代(みよ)内記(ないき)(よし)(しげ)(やす)(たね)()(もの)(あり)ケリ

(まこと)ニハ陰陽師(おむやうじ)加茂(かも)忠行(ただゆき)()(なり)

(しか)ルニ(いふ)博士(はかせ)養子(やうじ)(なり)(せい)(あらた)(よし)(しげ)トス

(こころ)慈悲(じひ)(あり)()(さい)(なら)()

今は昔、【□=天皇の諡号(しごう)の明記を期した意識的欠字。円融または一条を擬すべきか。】の御代に、内記慶滋保胤という者がいた。この人は本当は陰陽師賀茂忠行の子である。だが、【□=人名の明記を記した意識的欠字。】という博士の養子となり、姓を変えて慶滋とした。慈悲深い心の持ち主であるとともに学問にもことのほかすぐれていた。
やっと春めいてまいりました。                           過去記事はもくじ
私のような出不精者でも外にでようかと思える季節です。
梅も見頃と聞いてはおりますが、人ごみはどうも苦手、近所の空き地の梅でも十分美しいし。
と・・・なにやらかにやらつぶやきながら、結局出かけたのは古本屋さん。なじみの小林書店さんです。
kobayasi_nakagawa.jpg

今昔物語集を読みすすめていると芥川龍之介が彼の小説のネタに使った話しが沢山あるのです。
そのつど芥川龍之介が読みたくなり、まあ、有名な話は青空文庫にありますから、それを読むのですがね、でも、やっぱり紙に印刷した活字を目で追い、ページを指でめくりたいわけです。
ふと、芥川龍之介全集が欲しい・・・と思い、小林書店のホームページをクリックすると、ありました、ありました、三千円、小林さんまた破格に安いわ・・・と思いつつ車で一時間ほどかけて出かけました。

(記事の途中、過去に小林書店で購入した愛読書を画像とともに挿入します。)
キーワード:賀茂保胤 慶滋保胤 勧学会        関連記事はもくじ

安倍晴明の師である著名な陰陽師、賀茂忠行(かものただゆき)
忠行の長男である忠憲(やすのり)が後継者となるべく暦博士になったのは天暦四年(950)頃。その後保憲は陰陽頭・天文博士となり、陰陽家としては異例の四位に上る。(保憲以前は、陰陽頭は従五位下だった。)

保憲の息子光栄(みつよし)も暦博士。

十一世紀中ごろには賀茂氏が暦博士を世襲するようになる。

では、忠行の次男、保胤(やすたね)は・・・と云いますと、出家して僧侶になるのです。
今昔物語集においては「陰陽道を忌み嫌う」というキャラクター設定になっており、所謂「おちこぼれ」よろしく、ややコミカルに、且つシニカルに揶揄されていますが・・・

キーワード:賀茂忠行 賀茂保憲   安倍晴明と陰陽道関連記事はもくじ

賀茂保憲(かものやすのり)十歳の頃に父賀茂忠行について祓(はらい)の場に行き、そこで鬼神妖魔を見、父親忠行を驚かすと云うお話しです。原文と現代語訳。(全集:底本:実践女子大学蔵二十六冊本)
 賀茂忠行の後継者、実子である保憲と、愛弟子である安倍晴明

此のお話しは、安倍晴明が忠行の牛車に徒歩で付いてゆき、百鬼夜行を忠行に教えた話し(第十六)と対を成すような話しではないかと思います。クリック別ウィンドウで開きます↑

保憲は賀茂忠行の長男、次男は保胤(やすたね)です。
何はともあれ、はじめましょう。
 賀茂忠行道伝子保憲語第十五 巻二十四 本朝付世俗
かものただゆきみちをこのやすのりにつたふることだいじふご

今昔(いまはむかし)賀茂(かもの)忠行(ただゆき)(いふ)陰陽師(おむやうじ)(あり)ケリ。

(みち)(つき)(いにしえ)ニモ不恥(はぢず)ヂ、当時(そのかみ)(かた)(なら)(もの)()シ。

(しかれ)バ、(おおやけ)(わたくし)(これ)(やむ)(ごと)(なき)(もの)(もちゐ)(られ)ケル。

 

(しか)ルニ(ひと)(あり)(この)忠行(ただゆき)(はらへ)()サセケレバ、

忠行(ただゆき)(はらへ)(ところ)()カムトテ出立(いでたち)ケルニ、

(その)忠行(ただゆき)