落魄(らくはく)した身分のある美女と貴公子の出会いを主題とする点では類型的といえるが、幸福な結末を求める伝説的、昔物語的構成を脱皮して、悲劇のかもし出す異質の浪漫性を打ち出した点で、異色の佳作といえよう。
日本古典文学全集(小学館)の解説です。
『芥川龍之介の「六の宮の姫君」は本話に取材したもの(同上)』としても有名です。
古典文学の持つ淡々とした口調を原文から味わうために、今回淡々と進めます。
今までとは底本も替え、東京大学文学部国語研究室蔵 紅梅文庫旧蔵本(東大本甲)です。振り仮名もやや少なめの大系(岩波)から書き出します。
六宮姫君夫出家語第五 今昔物語集 巻第十九 本朝付仏法
ろくのみやのひめぎみのをうとしゆけすることだいご
今ハ昔、六ノ宮ト云フ所ニ住ケル旧キ宮原ノ子ニ、
兵部ノ大輔□ト云フ人有リケリ。
心□ニシテ旧メカシケレバ、世ニ指出モ不為デ、
父ノ宮ノ家ノ、小高クシテ大ナルニ、
荒バレ残タル東ノ対ニゾ住ケル。
年ハ五十余ニ成ヌルニ、娘一人有ケリ。
今は昔、六の宮という所に住んでいた、年老いて世間からも忘れられた宮方の子で、
兵部大輔(ひょうぶのみやだいぶ)□という人がおった。
高雅な心の持ち主で人柄も古風であったので、
進んで世間に出て人交わりをしようともせず、父ゆずりの、
木々のこんもり茂った広い邸内の、荒れ残っている東の対屋(たいのや)に住んでいた。
年は五十歳あまりになっていたが、娘が一人いた。
法師だけでは生活が成り立たぬ、妻子も養えないと、紙冠をかぶり『にわか陰陽師』になり、バイトで『お祓い』にはげむ法師陰陽師。寂心(保胤)に「仏のみ弟子になりながら、何故このような事をするのだ」と責められ困惑してしまいます。
その法師陰陽師の言い訳を聴いてみましょう。
道心無レバ身ヲ棄タル聖人ニモ難成シ。
和纔ガニ法師ノ姿ニテハ侍レドモ、只俗ノ様ニ侍ル身ナレバ、
『後ノ世ノ事何ヲカ可為ハカム』ト、悲ク思ユル時モ侍レドモ、
世ノ習ヒトシテ此ク仕ル也」ト。
もともと道心があるわけではないので、名利を捨てて、ひたすら修行に専念する聖人にはなり切りません。でも僧の姿をしてはいますが、まるっきり俗人と変わりない生活をしている身ですから、これでは後世極楽往生のための善根功徳を積むこともできないと悲しく思われる時もありますが、この世の習いでやむを得ずこんなことをしているのです」と言う。
う〜ん、こう開き直られると困ってしまいますね。
ここで、幸田露伴の連環記より、露伴の感想を書き入れてみます。
多数の人の取るところの道が正しい当然の道であるとするならば、疑いも無く此の紙の冠を被った世渡り人の所為は正しいのである、情緒至当のことなのである。寂心は飾り気の無い此の打明話には、ハタと行詰らされて、優しい自分の性質から、将又(はたまた)智略を以て事に処することを卑しみ、覇気を消尽するのを以て可なりとしているような日頃の修行の心掛から、却ってタジタジとなって押返されたことだったろう。
ヤ、それは、と一句あとへ退った言葉を出さぬ訳にはゆかなかった。が、しかし信仰は信仰であった。さもあれば、と一ト休めて・・・
〜さて、寂心はどう反論したかと申しますと
さて、エリート陰陽師家系賀茂家のお話しは続きます。
安倍晴明の師である、保胤の父は高名な陰陽師賀茂忠行(かものただゆき)。
忠行の長男は安倍晴明に勝るとも劣らぬ陰陽師、賀茂保憲(かものやすのり)。
次男の保胤は出家して僧侶になり寂心と名乗り、播磨国の川原をふらふらと歩いておりました・・・
如此クシテ行ケル間ニ、川原ノ有ル所ニ至ニケリ。
見レバ、川原ニ法師陰陽師有テ、紙冠ヲシテ祓ヲス。
□此レヲ見テ、馬ヨリ忩ギ下テ、陰陽師ノ許ニ寄テ云ク、
「此レハ何態シ給フ御房ゾ」ト。陰陽師答ヘテ云ク、
「祓シ侍ル也」ト。
□云ク、「然ナヽリ。但シ、其ノ紙冠ハ何ノ料ゾ」ト。
陰陽師ノ云ク、「祓殿ノ神達ハ法師ヲバ忌給へバ、
祓ノ程ド暫ク紙ミ冠ヲシテ侍ル也」ト。
このようにして寄進を募って歩いているうち、ある川原にやってきた。
みれば、川原に法師陰陽師がいて、紙の宝冠をかぶってお祓いをしている。
寂心(保胤)はこれを見て急いで馬から降り、陰陽師のそばに寄り、
「貴僧はいったい何をしておられるのです」 と言った。
そうすると陰陽師は「祓いをしているのです」と言う。
寂心は「いかにもそのようですな。だが、その紙の冠は何のためのものです」というと
「祓殿の神たちは僧をお嫌いになるので
祓いをしている間はしばらく紙の冠をかぶっているのです」と答えた。
☆つまり平安時代、僧侶は紙の冠をかぶることで「陰陽師のアルバイト」ができた訳です。
マジメで一途な寂心はそんないい加減なことが許せなかったのですね、大声で怒ってしまいます・・・
※□は古典文にみられる「意識的欠字」で此の場合寂心のこととしています
慶滋保胤の出家にまつわる物語は、芥川龍之介「六の宮の姫君」や幸田露伴「連環記」に出てきます。この今昔物語集の逸話は思っていたより有名で、解釈も様々でした。
それらの説明は後ほど・・・兎に角原文から始めます。底本は実践女子大学蔵二十六冊、現代語訳は全集から。
内記慶滋ノ保胤出家語第三 巻第十九 本朝付仏法
ないきよししげのやすたねしゅっけすることだいさむ
今昔、□天皇ノ御代ニ、内記慶滋ノ保胤ト云フ者有ケリ。
実ニハ陰陽師加茂ノ忠行ガ子也。
而ルニ、□ト云博士ノ養子ト成テ、姓ヲ改テ慶滋トス。
心ニ慈悲有テ、身ノ才並ビ無シ。
今は昔、【□=天皇の諡号(しごう)の明記を期した意識的欠字。円融または一条を擬すべきか。】の御代に、内記慶滋保胤という者がいた。この人は本当は陰陽師賀茂忠行の子である。だが、【□=人名の明記を記した意識的欠字。】という博士の養子となり、姓を変えて慶滋とした。慈悲深い心の持ち主であるとともに学問にもことのほかすぐれていた。私のような出不精者でも外にでようかと思える季節です。
梅も見頃と聞いてはおりますが、人ごみはどうも苦手、近所の空き地の梅でも十分美しいし。
と・・・なにやらかにやらつぶやきながら、結局出かけたのは古本屋さん。なじみの小林書店さんです。

今昔物語集を読みすすめていると芥川龍之介が彼の小説のネタに使った話しが沢山あるのです。
そのつど芥川龍之介が読みたくなり、まあ、有名な話は青空文庫にありますから、それを読むのですがね、でも、やっぱり紙に印刷した活字を目で追い、ページを指でめくりたいわけです。
ふと、芥川龍之介全集が欲しい・・・と思い、小林書店のホームページをクリックすると、ありました、ありました、三千円、小林さんまた破格に安いわ・・・と思いつつ車で一時間ほどかけて出かけました。
(記事の途中、過去に小林書店で購入した愛読書を画像とともに挿入します。)
安倍晴明の師である著名な陰陽師、賀茂忠行(かものただゆき)。
忠行の長男である忠憲(やすのり)が後継者となるべく暦博士になったのは天暦四年(950)頃。その後保憲は陰陽頭・天文博士となり、陰陽家としては異例の四位に上る。(保憲以前は、陰陽頭は従五位下だった。)
保憲の息子光栄(みつよし)も暦博士。
十一世紀中ごろには賀茂氏が暦博士を世襲するようになる。
では、忠行の次男、保胤(やすたね)は・・・と云いますと、出家して僧侶になるのです。
今昔物語集においては「陰陽道を忌み嫌う」というキャラクター設定になっており、所謂「おちこぼれ」よろしく、ややコミカルに、且つシニカルに揶揄されていますが・・・
キーワード:賀茂忠行 賀茂保憲 安倍晴明と陰陽道関連記事はもくじ
賀茂保憲(かものやすのり)が十歳の頃に父賀茂忠行について祓(はらい)の場に行き、そこで鬼神、妖魔を見、父親忠行を驚かすと云うお話しです。原文と現代語訳。(全集:底本:実践女子大学蔵二十六冊本)
賀茂忠行の後継者、実子である保憲と、愛弟子である安倍晴明。
此のお話しは、安倍晴明が忠行の牛車に徒歩で付いてゆき、百鬼夜行を忠行に教えた話し(第十六)と対を成すような話しではないかと思います。クリック別ウィンドウで開きます↑
保憲は賀茂忠行の長男、次男は保胤(やすたね)です。
何はともあれ、はじめましょう。
賀茂忠行道伝子保憲語第十五 巻二十四 本朝付世俗
かものただゆきみちをこのやすのりにつたふることだいじふご
今昔、賀茂忠行ト云陰陽師有ケリ。
道ニ付テ古ニモ不恥ヂ、当時モ肩ヲ並ブ者無シ。
然バ、公私ニ此ヲ止事無キ者ニ被用ケル。
而ルニ人有テ此忠行ニ祓ヲ為サセケレバ、
忠行祓ノ所ニ行カムトテ出立ケルニ、
其忠行ガ