玄象といふ琵琶鬼の為に取らるること
〜源博雅(みなもとひろまさ)が鬼に取られた玄象(げんじょう)という名の琵琶(びわ)を
羅城門(らじょうもん)で返してもらうお話は、今昔物語集 世俗から
現代語訳は「続きを読む・・」の後にあります。

直衣(のうし)姿
直衣で参内できるのは
身分の高い
貴族だけだった。
解説は現代語訳の後にあり
図(扇面写経絵模写)
平安時代の文学と生活
玄象琵琶為鬼被取語第ニ十四
げんじやうといふびはおにのためにとらるることだいにじふし
今昔物語集 巻第二十四 本朝付世俗
今昔、村上天皇ノ御代ニ、玄象ト云フ琵琶俄二失ニケリ。
此ハ世ノ伝ハリ物ニテ、極キ公財ニテ有ルヲ、
此失ヌレバ、天皇極テ歎カセ給テ、
「此ル□事無キ伝ハリ物ノ、我ガ代ニシテ失ヌル事」
ト思シ歎カセ給モ理也。「此レハ人ノ盗タルニヤ有ラム。
但シ、人盗取ラバ、可持キ様無事ナレバ、
天皇ヲ不吉ラ思奉ル者世ニ有テ、取テ損ジ失タルナメリ」
トゾ被疑ケル。
源博雅(みなもとのひろまさ)は今昔物語集において、
羅城門で玄象(げんじょう)という琵琶を鬼から取り返すお話がありますが、
「玄上」または「玄象」という琵琶に関するお話は朱雀門にもあります。

マークした上の場所が
朱雀門(すざくもん)。
朱雀大路から大内裏へ入る
宮城の正門
内裏から横方向の道は
上から、一条、三条・・・九条
羅城門(らじょうもん)は
下方のマーカー。
朱雀門と羅城門を結ぶのが
朱雀大路。
(巾84メートル、
南北に約4キロ)
朱雀大路から西の京が
「西京」。
「平安時代の文学と生活」より
朱雀門の琵琶(玄上)のお話に博雅は出て来ないのですが、
今回は琵琶玄上(象)に関する霊異譚を集めました。
朱雀門は下図、マーカー上方の門、下方にあるのが羅城門。
二つをつなぐ道が朱雀大路です。
源博雅が生まれたときには、天上より妙なる調べが聲(きこ)えてきたといいます。
このおはなしは古今著聞集 巻第六 管弦歌舞第七 二二四より
博雅三位の生れし時天上に音楽ある事
并びに雙調の君の事
「天上のしらべ」というと、平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩が奏でる音楽を想います、挿絵として挿入します。

『平等院鳳凰堂』平等院鳳凰堂のCG復元図:詳細は記事末尾にあります(東方出版社)。現在でも入手可能の本です。画像使用許可電話連絡後、使用許可受けています。無断転載は禁じます。
任期を終え、暫くして京へ帰ってきた男は、姫を尋ねて昔の家へ行ってはみたものの
姫はもう、そこには住んでいなかったのです。
男はなんとかして探し出そうとしますが、約八年も経ってしまっているので・・・
家ニ行タルニ、此ノ人ニ不値ズシテ世ニ可有クモ不思ザリケレバ、
「只足手ノ向キタラム方ニ行テ尋ネム」ト思テ、物詣ノ様ニテ、
藁履ヲ着ハキ、笠ヲ着テ所々ヲ尋ネ行クト云へバ、
更ニ不尋得ザリケレバ、「若、西京ノ辺ニヤ有ラム」
ト思テ二条ヨリ西様ニ、大垣ニ副テ行ク程ニ、
申酉ノ時許ニ掻暗ガリテ、シグレ(雨冠+泉)痛ク降レバ、
「朱雀門ノ前ノ西ノ曲殿ニ立隠レム」ト思テ立寄タレバ、
蓮子ノ内ニ人ノ気ハヒ有リ。
和ラ寄テ臨ケバ、筵ノ極テ穢ナルヲ曵キ廻シテ人二人居タリ。
一人ハ年老タル尼也。
一人ハ若キ女ノ、極テ痩セ枯テ色青ミ影ノ様ナル、
賤シキ様ナル筵ノ破ヲ敷テ、其レニ臥シタリ。
いったんは自分の家に帰ったものの、
この人(姫)に会わなければ生きている気もしないので、
ただ手足の向いた方向に行って捜そうと思い、物詣ででもするようないでたちで、
藁沓をはき、笠をかぶり、あちらこちらと捜し歩いてはみたものの、
まったく捜し出すことはできなかった。
「もしかしたら西京のあたりにいるかもしれない」と思い、 注1
二条の通りを西に向かって、大きな垣根に添って歩いて行った。
申酉(午後五時)ごろであったが、急に空が暗くなり、時雨がひどく降ってきたので、
朱雀門の前の西の曲殿(まがりかど)に行って雨宿りをしようと思って立ち寄ると、
連子窓(れんじまど)の中に人の気配がする。
その一人は老尼、一人はえらく痩せさらばえ、真っ青な顔色の、影のような若い女で、
薄よごれた筵(むしろ)のはしきれをまき、その上に寝ている。
キーワード:芥川龍之介 六の宮の姫君 ヒスマシ 過去記事はもくじ参照
僕は「今昔物語」をひろげる度に当時の人々の泣き声や笑ひ声の立昇るのを感じた。
芥川龍之介
今回は古典の持つ音や迫力を、できるだけその儘お伝えしようと、数回に分けて原文全文を記しています。 前回の続きから
政所屋ノ壊レ残タル所ニ、纔ニ人住ム様ニ見ユ。
寄テ人ヲ呼ベバ、一人ノ尼出タリ。
月ノ明キニ見レバ、彼ノ人ノヒスマシ也シ者ノ母ニテ有シ女也ケリ。
寝殿ノ柱ノ倒レテ残リタルガ有ルニ尻ヲ打懸テ、此ノ尼ヲ呼ビ寄セテ、
「此ニ住シ給ヒシ人ハ」ト問へバ、尼墓々シク云フ事無シ。
然レバ、「隠スナメリ」ト思ヒテ、十月ノ中ノ十日程ナレバ、
尼モ糸寒気ナルニ、男着タル衣ヲ一ツ脱テ与フレバ、
尼手ヲ迷シテ、「此ハ何ナル人ノ此クハ給フニカ」ト云へバ、
男、「我ハ然々ノ人ニハ非ズヤ。汝ハ忘ニケルカ。
我レハ更ニ不忘ズ」ト云へバ、尼此ヲ聞クマヽニ、
噎返テ泣ク事無限シ。
政所屋の壊れ残った所に、どうやら人が住んでいるような気配がしたので、
近づいて声をかけると、一人の尼が出てきた。
明るい月の光で見ると、かの人の下働きをしていた(注1)女の母であった。
男はそこにあった倒れ残っている寝殿の柱に腰を降ろしてこの尼を呼び寄せ、
「ここに住んでおられた方はどうされたかね」ときくと、尼は口ごもって答えない。
さては隠しているのだろうと思い、
ちょうど十月二十日のころで、尼もひどく寒そうにしていたので、
男は着物を一枚脱いで与えると、尼はひどくあわてた様子で、
「このような物をくださるとは、あなた様はいったいどなたでいらっしゃいますか}と言う。
「わしはそれ、こういう者ではないか。
お前は忘れたのか。
わしの方では決して忘れてはいないぞ」と男がいうと、
尼はこれを聞くや、むせびむせび泣き入った。
六の宮の姫君を妻とはしたものの、正式な結婚の形を取っていなかったために、 任終ノ年怱ギ上ラムト為ルニ、其ノ時ノ常陸ノ守□ト云フ人、 任国ニ有テ花ヤカニテ有ルニ、此ノ陸奥ノ守ノ子ヲ 「聟ニセム」ト人ヲ遣セテ度々迎ヘケレド、陸奥ノ守 「極メテ賢キ事也」ト喜テ、子ヲ常陸ニ遣リツ。 然レバ、陸奥国ニ五年居テ、常陸ニ三四年有ル間ニ、 墓無クシテ七八年ニモ成ヌ。
父の赴任先へ随行する折、妻としてつれて行けず、
再会をかたく約束してひとり父赴任先陸奥へ旅立っていった夫。
約4年の任期が終わり京の姫のところに帰る日がやってきましたが・・・
図は一般的な寝殿造、当時の公卿の家です(見取り図は末尾にあります)
その当時任国でおおいに羽振りをきかせていた常陸守(ひたちのもり)□という人が
かねがねこの陸奥守の子を婿にしようと何度も使いをよこして望んでおり、
陸奥守も「それはまことに結構なことだ」と喜んでいたので、
この際、子(六の宮の姫の夫)を常陸の婿にやった。
そこで、男は陸奥国に五年いた上、常陸国に三、四年住み、何やかや七、八年がいつしか過ぎた。
今昔物語集巻第十九は「世俗」ではなく「仏法」に分類されていて、理由あって出家した人たちの出家の理由(発心の生じた理由)などが書き並べてあります。
このお話しも「悲恋物語なので世俗」では無く、
「出家物語なので仏法」という考え方なのでしょう。
前回の続きです。前回のお話しはこちら其の壱
而ル間、乳母ノ云ク、「己ガ兄弟ニテ侍ル僧ニ付テ令云メ侍ル也。
□ノ前司ノ二十余歳許ナルガ、形モ美麗ニ心バヘモ直シキ御ス也。
父モ只今受領ナレドモ、近キ上達部ノ子ナレバ□也。
其レガ此ク御スヲ聞テ令云メ侍ル也。
通ヒ給ハムニ苟カルベキ人ニモ非ズ。
「此ク心細クテ御スヨリモ吉キ事」トナム思ヒ給ル」ト。
姫君此ヲ聞テ髪ヲ振懸テ、泣ヨリ外ノ事無シ。
ある日、乳母が、「じつはわたしの兄弟に当たる僧にことづけて
こう言ってきた人がおいでになります。
【□=国名を明記した欠字】の前司で、年は二十歳余りの、
容姿も美しく気立てのよい方がおいでになります。
その父も現在受領(ずりょう)ですが、最近の上達部(かんだちめ)の子ですから
【□=アテの漢字表記を期した欠字。上品な】方です。
その方がおひい様の所に通われても、恥ずかしい方ではありません。
このように心細くておいでにいなるよりはよいことかと存じますが」と言った。
これを聞いた姫君は髪を振り乱し、ひたすら泣くよりほかはなかった。