スパム対策
  無弦弓 池尾禅珍内供鼻語第二十  今昔物語集 巻第二十八 本朝付世俗〜芥川龍之介『鼻』のもとになったおはなし・其の参

  無弦弓

                       吾生まれて世にはぐれたる迷ひ子の・・ゆるり、ふらり、と独り言 戯言 〜〜日本の古典文学と詩歌を読みすすめています

キーワード:芥川龍之介 『鼻』 柳田國男 『鳴滸(ヲコ)の文学』 過去記事もくじ

長さ15cmにもなる鼻を持つために、
食事の時には鼻を持ち上げる為の板でもって支えさせた。
板をもつ専用の係りまでいたという、内供(ないく)の鼻。
芥川龍之介の小説『鼻』の元になった今昔物語集のおはなしです。
〜〜末尾に『鳴滸(ヲコ)の文学』より柳田國男のこのお話しに対する解説を入れます。

いつもの係りが居ないと、不機嫌で食事もままならない内供です。
係りの者が病気になってしまい、代わりの童子に鼻をささえさせ食事をはじめました。
はてさて・・・どうなるでしょうか・・・

(わらは)鼻持上(はなもちあげ)ゲノ木ヲ取テ、(うるは)シク(むかひ)テ、

()(ほど)(たか)ク持上テ、(かゆ)(すすらせ)ヌレバ、内供(ないく)

()(わらは)(いみじ)上手(じやうず)ニコソ(あり)ケレ。

(れい)法師(ほふし)ニハ(まさり)タリケリ」ト(いひ)テ、

(かゆ)(すす)(ほど)ニ、(わらは)(かほ)蕎様(そはざま)(むけ)テ、(はな)(たか)()ル。

()(とき)ニ、(わらは)()(ふるひ)テ、(はな)持上(もちあげ)木動(きうごき)ヌレバ、

(はな)(かゆ)(かなまり)ニフタト打入(うちいれ)ツレバ、

(かゆ)(ない)()(かお)ニモ(わらは)ノ顔ニモ(おほ)(かけ)ヌ。



童は鼻持ち上げの板を手に取り、内供にきちんと向き合ってすわり、
ほどよい高さに持ち上げて粥を飲ませる。

内供は「この童はじつに上手だ。
いつもの法師よりうまいぞ
。」

と言って粥を飲んでいるうち、
童が顔をそむけて大きなくしゃみをした
とたんに、童の手が震え、鼻持ち上げの板が動いたので、
鼻が粥の中にばちゃっと落ちた
同時に、粥が、内供の顔にも童の顔にもしたたかに飛びかかった。
簸(ひ)ル=くしゃみをする  ばちゃっと=ふたと

内供(ないき)(おほ)キニ(いかり)テ、(かみ)(とり)頭面(かしらおもて)(かかり)タル(かゆ)(のごひ)

(おのれ)(いみじ)カリケル(こころ)()シノ(かた)カナ。

()レニ(あらず)シテ止事(やむごと)()(ひと)御鼻(おほむはな)ヲモ持上(もちあげ)ムニハ、

(かく)ヤセムト()ル。不覚(ふかく)白者(しれもの)カナ。(たち)ネ、(おのれ)」ト云テ、

(おひ)(たて)ケレバ、(わらは)(たち)(かく)レニ(ゆき)テ、

()(ひと)(かか)(はな)ツキ()(ひと)(おはせ)バコソハ、

(ほか)ニテ(はな)持上(もちあげ)メ。

鳴呼(おこ)事被(ことおほせ)()御房(ごばう)カナ」ト云ケレバ、

弟子共(でしども)()レヲ聞テ、(ほか)逃去(にげさり)テゾ(わらひ)ケル。

  乞イの イ=勹+止 ですが描出できませんでした。

内供は大いに怒り、紙を取って、顔や、顔にかかった粥をぬぐいながら、
「お前はとんでもない間抜けの乞食野郎だ。
もし、このわしでなく、高貴な方の御鼻を持ち上げている時にこんなことをしでかすか
うつけの馬鹿者め。立ち去れ、こいつめ」と言って追い立てたので、

童は物陰に立って行き、

世の中にこんな鼻つきの人がほかにおられるとでもいうのなら、
よそに行って鼻を持ち上げることもあろうが。
オコなことをおっしゃるお坊様だ


と言ったので、弟子共はこれを聞き、外に逃げ出して大笑いした。


 

()レヲ(おも)フニ、(まこと)()ナリケル(はな)ニカ(あり)ケム、

(いと)奇異(あさまし)カリケル鼻也(はななり)

 (わらは)(いと)可咲(をかし)(いひ)タル(こと)ヲゾ、()人讃(ひとほめ)ケル、トナム

(かた)(つた)ヘタルトヤ。

 


思うに、実際、どんな鼻だったのだろう。じつにあきれた鼻ではある。
 童のいとも痛烈に言った言葉を聞く人は、みなほめた、とこう語り伝えているということだ。

 〜〜〜〜 〜〜〜 〜〜〜〜〜〜

さて現代語訳は日本古典文学全集より引用しているのですが、

鳴呼(おこ)ノ事馬鹿なことを・・と訳すと、柳田國男翁よりご意見が出ます。
ヲコは馬鹿では無く、ヲコなのです。

柳田國男 『鳴滸(ヲコ)の文学』より

人を楽しませる文学の一つに、日本ではヲコという物の言い方があった。

ヲコは単なる人間の活(い)き方という以上に、夙(はや)く我邦などでは芸術の域に進んで居た。即ち志ある者の修行と訓練によって、次第に高い効果を収める望みのあるものと認められて居たように思う。手を取って教える此頃風の教育がなかったのと、教科書と名ずくべき書物が少ないばかりに、時々はそれさへ忘れてしまうことがあって、屡々(しばしば)退歩の悲しみを味わうような時代が来る。現代はちょうど其一つの場合ではないかと、私などは感じて居るのである。しかし強いて探し求めるならば、教科書というほどのものは必ずしも稀ではなく、ここで私の例に取ろうとする今昔物語の巻二十八などは、何れの点から見ても頃合のものと言ってよい。

 芥川龍之介君がもう短編に書いてしまったから、詳しく取り次ぐ必要も無い鼻の話。
長さ五六寸もある鼻をもつ老僧が、粥を食べるのに困って鼻持ち上げの木というものを考えだす。それを持つ役の小僧がくしゃみをしたら、顔じゅうに粥が飛び散った。何という不覚者ぞ、もし貴人の御鼻を持ち上げて居て、斯んな不調法をしたらどうすると、誰にでも言うような言葉で叱りつけたことが、腹を抱えるほど読者にはおかしいのだが、ここでは更に念入りに叱られて立つ小僧のひとり事に、かかる鼻つきの人が他にあればこそ、このお小言もききめが有ろう。「ヲコなる事仰せらるる御坊かな」と云ったとあり、弟子たち之を聴いて皆外へ逃げ出して笑ったとも記して居る。事実に誇張はあったと思うが、この語りが特に我々を笑わせようとして居るのである。


そりゃ、まあ、こんな「鼻」があった筈は無いのですがね。
「古典独特の笑い」でしょうか。
・・・ところで「ヲコ」っ何・・? ヲコがましいとかいいますよね。
(広辞苑では「おこ」です。ばかと書いてありますが・・)

今昔物語集の魅力を十分に味わうためにも、柳田國男翁殿のヲコの文学は必見かと思いました。柳田國男はこの記事作成時(2008)まだ著作権切れていません。昭和文学全集(4)ならお近くの図書館にあると思います。今昔ファンの皆様にはおすすめです。

参考文献

今昔物語集 巻第二十八 本朝付 世俗 池尾禅智内供鼻語第二十
 底本 東京大学国語研究室蔵十五冊本
 日本古典文学全集 今昔物語集 三 小学館

『鳴滸(ヲコ)の文学』 柳田國男 昭和文学全集(4)小学館

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ













管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://mugenkyuu.blog4.fc2.com/tb.php/57-e577184c